3年前のちょうど今頃の季節、夫と広島県安芸高田市にある郡山城跡を散策しました。
安芸吉田荘の国人領主から中国地方の覇者となった毛利元就公が本拠とした山城です。
毛利家一族の墓所も有ります。
墓所に行く入り口には古い石造りの鳥居が立っています。
目に青葉 山ホトトギスというのか、もう見渡す限り緑したたる山の中のお墓は全く怖くなくてまるで神社みたいな荘厳な静けさに満ちていました。
木漏れ日の中、時おり木々から緑の葉がはらはらと落ちる様子も風情があります。
時折訪れる歴史好きの人が何人もここで手を合わせてきたことでしょう。
お墓だけど何か清々しいね!
と夫と言いつつその場所を後にしました。
近隣にある毛利家が代々戦勝祈願をした清神社もお詣りし帰途につきました。
(とても素敵な神社でした)
その夜、お風呂に入ってくたびれたのか湯につかったまま一瞬うとうととしました。
映像が脳裏に現れました。
天気の良い秋晴れの景色の中、一面田んぼの稲の後や畑が広がる中、農作業をしているお百姓さんのような姿のおじさんが二人遠くを見ながら話をしています。
昔風の家がポツンポツンあるいは何軒か集まって建っているのも見えます
「今度の戦もうちの殿様は勝つじゃろうて、のう!」
「ほうよ、負け知らずよ!」
思いっきり広島弁。
昔もこんな話し方だったのかしら。
負け知らずって元就さんの事なのかな・・・と思いを巡らせていると、私の視線がおじさん達の視線と重なって田んぼの向こうの山城の麓を観ています。
ほえっ!
と思いました。
整然と並んだ武装姿の武士が長い長い二列になって田んぼや畑の中の道を粛々と進んでいます。
列の人達が神社の鳥居の前に来ると、くるっと神社の拝殿の方を向き直って頭を下げ手を合わせ、また行軍を進めていく様子が見えました。
なんだかとってもきちんとした感じ。
その列の途中に幾人か護衛のような槍やいろいろな物を持った家来を周囲に従えた馬上の武将がいました。
痩せてはいるけれど、辺りを払うすごい威厳。
大将だと思いました。
この武将は・・・
とうつらうつらと映像を観ながら思いました。
自分の挙措が周囲に与える影響をよく理解している・・・
やっぱり、元就さんなのかもしれないと思いました。
馬上の人は鳥居の前に来るとひらりと馬から下り、丁寧に手を合わせふたたび馬上の人になってさらに進んでいきました。
これから合戦に赴くところで、神社は清神社なのだと思いました。
ここで目が覚めました。
今の映像は一体・・・???
それにしてもなんでこんな映像を観たのかな。。。
実際こんなことがあったのかな。
それとも何かの映画のワンシーンを覚えていて観たのかな。
確かめる術がありません。