観えたこと想うこと草子

旅と歴史をメインに少しスピリチュアルなお話を綴ります。

出雲の国 東方面の旅

この暑さでバテバテ・・・どうも体調も思わしくないよの私の訴えと、自分も癒やされたい夫の思惑からこの週末は夫婦で1泊2日の島根に湯治旅行に行くことに。

 

やんちゃな黒猫くんのお世話を子供達に頼んで、いざ出発。

 

今回の旅程も全て夫任せ。

というか、計画立てるの大好きおじさんですから。

 

私も免許証を携帯して旅の半分近く運転しました。

 

場所は大好きな出雲地方。

今回は東方面に絞って目的地を決めました。

 

最初に、以前から気になっていた遺跡を巡ることにしました。

 

加茂岩倉遺跡 (島根県雲南市加茂町岩倉)

荒神谷遺跡 (島根県出雲市斐川町神庭)

 

の2カ所を夏バテで弱っているにかかわらず、行ってきました。

 

この2カ所の遺跡は山々をはさんで直線距離3.3kmの近さで、斜面に銅鐸や銅剣、銅矛が埋められていたのが近年発見されたものです。

 

西側の斜面は加茂岩倉遺跡 銅鐸39個 

東側の斜面は荒神谷遺跡 銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本

 

同じ弥生時代に埋められたそうです。

 

最初に向かったのは、広島から行くと手前になる加茂岩倉遺跡から。

 

昼前のあっつい時間に、駐車場に車を停めてエッサエッサと山の中の道路を歩いていきました。

 

山を削った谷間にさしかけるように造られた資料館(加茂岩倉遺跡ガイダンス)に入って涼みながら資料を眺め、親切な職員さんに遺跡発見時のビデオも見せていただきました。

 

銅鐸のレプリカもたくさん展示されています。

 

銅鐸には精巧な文様が刻まれていました。

文様は陶器にありそうな、見たことがあるようなどこか懐かしい感じがします。

 

当時の技術の素晴らしさに感嘆しながら見入りました。

 

その後、暑い日差しの中、建物のそばにある実際の出土現場に向かいました。

 

農道整備中に銅鐸が発見された当時の状況そのままに再現してあります。

 

 

ふと思いました。

 

 

弥生時代、貴重だった銅鐸をなぜここに埋めたのだろう・・・

 

 

「終わらせた」

 

 

かすかな言葉が脳裏をかすめました。

 

さらに何か受け取れるか集中してみました。

 

「前に進むため 終わらせた」

 

これ以上は分かりませんでした。

 

何かを終わらせるために、この地に銅鐸を埋めたのだろうか・・・

 

いつもの妄想かもしれないけど・・・

 

ゆっくり深呼吸しながら、この土地を守るエネルギーに意識を向けて心で話しかけてみました。

 

ここの写真を撮らせてください。

日記としてブログに載せても良いでしょうか・・・

 

良いとも悪いとも感じられず、さりとて嫌な感じもなかったので2枚ほどスマホで撮影しました。

 

夫にも一言断ってから撮ってね、と声をかけると

 

「事後承諾でいいじゃん。」

 

と遠慮会釈なく既にパチパチ数枚撮っていました。

 

あちゃ~と思いました。

 

この後昼過ぎに向かった荒神谷遺跡の資料館では、巫女風の女性が祈りつつ銅剣を埋める様子を想像した再現フィルムが上映されていました。

 

こちらの加茂岩倉遺跡の銅鐸も、当時の人々が土地の神に畏敬の念を持ちつつ、儀式の後にこの場所に埋めたのではないか。

 

精巧に作られ金色に輝いていた本来の銅鐸を思い浮かべ、どんな思いで当時の人達が大切な銅鐸をここに埋めたろう・・・

 

そう考えると適当にパシャパシャと撮影する気分にはとてもなれないけどなあ。

 

あまりの暑さで湯治に来たはずなのにこれでは余計に疲れてまう~とそこを早々に出て、昼食を予約したレストランに向かいました。

 

出てくるメニューを待ちながらさっきスマホで撮った2枚の写真を見ていると、デジカメの写真を確認していた夫が

 

「何か変じゃ。」

 

と声を上げました。

 

「さっきの遺跡の写真だけ全部無い。他の場所で撮ったのは残っているのに!」

 

そんなことあるの?と思いましたが、いくら確認しても、その部分だけ抜けたように消えていました。

 

一瞬 背中に鳥肌が立ちました。

 

長くなりそうなので、次回へ。

 

 

銅鐸出土現場の写真(2枚) ↓   

 

 

 

加茂岩倉遺跡ガイダンスで売られていた銅鐸のキーホルダー。

重さがしっかりあってリアル感たっぷりです。