観えたこと想うこと草子

旅と歴史をメインに少しスピリチュアルなお話を綴ります。

日帰り 出雲の旅

この週末、夫と娘と島根県出雲市にある

一畑薬師へ参拝に行きました。

 

この一畑薬師さまは目のお薬師さんとして古くから知られています。

 

昨年末に受けた通院ドックで、目の不調を指摘されていました。

 

小学生依頼やっていなかった遠くの景色を見たりする遠方凝視、目の温湿布をしたり、食べ物など生活習慣を気をつけるなど考えられることは実行した上で、ここはやはり、目のお薬師さまのお力にもおすがりしようと思いました。

 

2年前に一度参拝したことがあって、境内の美しさが印象的でした。

 

ご本尊の薬師瑠璃光如来さま秘仏で、ネットで調べてみましたが今までご開帳したことがあるのかどうか分りませんでした。

 

2年前の参拝時に参道のお店の年配のご主人にお伺いしても

「見たこと無い。」

とのこと。

 

お寺でいただいたパンフレットの一畑薬師さまの説明 ↓

 

寛平6年(西暦894年)、

ご本尊をすくいあげた漁師の母親の目が治ったことから

「目のお薬師さま」として信仰されてきました。

戦国時代には幼児が救われたので「子供の無事成長の仏さま」としても親しまれています。

 

894年とは!

遣唐使が廃止された年。

 

古くから信仰されたお薬師さまなのだと思いました。

 

広島からは車を飛ばして4時間近く。(島からなので時間がかかります・・・)

専用の広い駐車場に車をとめ、やや急ぎ足で本堂へ向かいました。

 

漫画家の水木しげる先生も子供の頃から参拝していたそうで、目玉おやじのモニュメントがあちこちに設置されていて面白かったけどそこも急ぎぎみで通り過ぎました。

 

境内に到着すると、辺りをキョロキョロしている夫と娘を尻目に私は参拝もそこそこにご祈祷の受付に早足で向かいました。

 

なぜか急ぎたくなるときは、いつも何かのタイミングに合うように導かれていることが多いのです。

 

このときも受付の方に

 

「今からご祈祷が始まりますからお急ぎください。」

 

と言われ、まだ境内でうろうろしている家族を促して、本殿に入らせていただきました。

 

初めて入る本堂。

 

広い堂内に椅子が沢山配置されていました。

他に1グループのご祈祷を受ける方達が先に椅子に座って儀式を待っていました。

 

入ってまず驚いたのが、夥しい数のひな人形がぐるりと周りに飾られていたことでした。

 

3月に行われる人形供養のためのものですと後ほど説明がありました。

 

正面には高い位置に閉じられた状態の大きな観音開きの扉がありました。

この奥にご本尊様がおられるのか・・・と思いました。

 

パンフレットに目を通すと

 

本尊の薬師如来秘仏)の両脇には、日光菩薩月光菩薩十二神将がまつられています。

 

とのこと。

 

なんと!

そんなにたくさんの仏様がこの奥に・・・・?

 

「遅くなり申し訳ございません。」

 

と声がして、見るときりりとした表情の若いお坊様が1人入ってこられました。

 

大音量の太鼓の音とともにご祈祷が始まりました。

 

全てお一人で叩きつつのご祈祷で、すごいなと思いました。

 

弾き語りならぬ叩き語りという様なのでしょうか。

 

事前に配布された経本を見ながら、お坊様の読経についていくようにお経を(ボソボソと)詠みましたが、このついていくのが素人なのでなかなかに難しかったです。

 

終わりに、

 

「合掌し礼拝してください。」

 

と促されて手を合わせた際、何だか目の辺りがモニョモニョして驚きました。

 

頭を下げてひたすらお薬師さまに参拝の感謝と眼病平癒のお願いを心で申し上げました。

 

お薬師さまのお札と肌身につけるお守りをいただいて、本堂を後にしました。

 

おや、何だか目が軽いぞ!

 

すごい!!

 

と驚きました。

 

いつも目の奥がぼんやり痛みがあって重い感じがあったのに、なくなってる!!

 

夫に言っても

 

「気のせいじゃない?」

 

といつものせりふ。

 

誰がどう言おうと、この体感はわたしのものじゃけん。

 

お薬師さま、本当にありがとうございます!!

 

と、今再び本堂に向き直り手を合わせました。

 

おみくじを引くと「大吉」

 

先日参拝したお寺でも大吉でした。

 

この「大吉」

 

運気が上がってきていることのお示しも当然ありますが、私が思うに

 

今生きている、向かっている先は正しいまたはそのことの応援

 

という時、この大吉が表出しやすい気がします。

 

実は年が明けて以来、生きていく上での一つの方向転換という事象が浮上してきて、慣れ親しんだことから離れる不安を感じていました。

 

「大吉」の文字を眺めつつ、やはり

 

「これでいいのだ」

 

ということかと心がずしりと定まっていく思いがしました。

 

授与所では、お薬師さまゆかりの御霊水で入れた温かいお茶もいただきました。

 

これが本当に美味しい。(なのでお代わりをしました)

 

まぶたにこのお茶をつけてお薬師さまの御真言をとなえてみてくださいとお坊様に教えていただいたので,早速やってみました。

 

家でも飲めるようにお茶も買って、(ネットでも販売されています)意気揚々と駐車場に向かいました。

 

途中、雪を頂いた鳥取伯耆大山が遠くにくっきり見えて感動しました。

 

お昼になったので、参道でお蕎麦の昼食。

お土産に蒸したてのおまんじゅうを買って駐車場に向かいました。

 

次の目的地 玉造温泉 を目指しました。

 

参道に入るところの目玉おやじ

涅槃おやじになっていました。

 

転んでるし。

 

 

参道に入ったところ。

キリッとした空気を感じました。

 

階段を登った先に本堂があります。

なぜか本堂を撮るのを忘れていました。

 

伯耆大山がよく見えました。

 

 

 

 

想像で旅をする

住んでいる島のカフェの一つに先日娘とお昼ご飯を食べに行きました。

 

部屋の一角の窓から海が見えるそのお店は、普段からちょくちょく利用させていただいています。

 

その時のお客は私たちだけ。

 

お料理が出てくるのをゆっくり待ちながら店内を見回すと、旅行のガイドブックが何冊か置いてあるのが目に入りました。

 

「インド」のガイドブックを何とはなしに手に取りました。

 

インド・・・お釈迦様がお生まれになった国。

 

仏教の聖地のページをパラパラ眺めながら、ある場所で手が止まりました。

 

ラージギル

 

ごつごつとした岩肌が見える山の景色や、地平線に沈む夕日とおぼしき写真に目が釘付けになりました。

 

お釈迦様の時代の強国マカダ国の首都ラージグリハが現ラージギルで、当時の国王ビンビサーラ王は、お釈迦様に深く帰依し教団の一行を厚くもてなしたとのことでした。

 

ここに行ってみたい!!

 

なぜか強烈に思いました。

 

本はボロボロで、使い尽くした感がありました。

 

もしかして・・・とカフェのオーナーさんに尋ねると

 

「インド行ったことありますよ!生きるエネルギーがすごく高い国。

 行って思想というか、人生観変わりました。」

 

インドを旅した方がここ私の住んでいる瀬戸内海の静かな島におられたことに驚きました。

 

オーナーさんは、ラージギルが一番印象深かったとのこと。

 

あら、私と心のつかみ所が似てる・・・

 

「それほど高くない山頂に祭壇の跡のような遺跡があって、周りがゴツゴツした岩山が広がって・・・突然そこでスコールに遭ったんですよ。

岩穴に籠もって雨を凌いだのですが・・・自分の力ではどうしようもない状況で、何というか・・・受け入れるというか、あるがままの境地というか・・・その時に人生観が変わったんです。

翌日風邪引きましたけどね!」

 

そう話すオーナーさんの表情が、お釈迦様の説法を直に聞いたかのように山上を吹きゆく風のような自然さであふれていて、お話を聞くだけで癒やされる思いがしました。

 

聖地の一つ、サールナートの地名をオーナーさんの話で耳にした瞬間、鹿野苑という言葉が頭をよぎりました。

 

確か、最初にお釈迦様がお説法を始められたとき、鹿も聞いていたとかの場所だったような・・・

 

その時、脳裏に映像が観えてきました。

 

木々に囲まれた草地に、静かに説法をしている1人の僧をぐるりと5人の僧が囲むように座って話を聞いている景色。

 

すると、林の中から次々とたくさんの鹿が現れ、あるものは頭を垂れて、あるものは座り込んで僧の話に耳を傾けている・・・

 

説法をしている僧はお釈迦様なのだと思いました。

 

この映像にうっとりして、一瞬オーナーさんのお話に上の空でした。

 

いかん、いかん、人にお話をお願いしておいて!

 

新たなお客さんの来店でお話はそこで打ち切り。

カフェを後にしました。

 

ふと見上げて、この空はインドにも続いているんだよね・・・

 

インドに行けるかなあ・・・

 

いつか行ってみたいなあ・・・

 

と思いました。

 

娘も「行ってみたいね」と。

 

カフェに入るときまさかこんな心持ちの展開になるとは!

 

自分の心の有り様にビックリ仰天のある日の午後の出来事でした。

 

山口県防府市 周防国分寺を参拝

先週末、娘がメインの用事で夫と私と娘の3人で山口市へ行ってきました。

(出不精な息子は留守番)

 

前日にテレビで防府市にある周防国分寺が放送されていたのを見て、

防府は途中だし行ってみよう!

ということになりました。

 

ポツポツと雨がそぼ降るお昼前に到着。

カサをさして参拝しました。

 

入り口両側にある大木が圧巻で、しばらくほえ~ほお~と(ややアホ面で)見て回りました。

 

国分寺とは,奈良時代聖武天皇が日本の各地に国分尼寺とともに建立を命じた寺院。

 

お寺のパンフレットによると

元の建物は室町時代に焼失して現在残っている仁王門や金堂は江戸時代のものとのことでした。

 

駐車場そばには聖天堂もあって、熱心に拝んでいる方もおられました。

 

拝観料を払って建物(金堂)の中を見せていただくことにしました。

 

寺務所でお支払いを済ませると、中に係の者がいますよとのことで建物の中に入ると廊下に物販の担当の方がおられ、堂内を自由に見て回れました。

(堂内は撮影禁止)

 

展示の説明の放送が流れるのに耳を傾けながら、ご本尊の薬師如来様に手を合わせました。

 

お薬師さまは座像で、須弥壇に乗った高さ約2.5mの誠に堂々としたお姿。

 

目線をそろそろと上げてお顔を拝見すると

 

何だか・・・

 

とっても・・・

 

鋭い眼差し。

 

動かないはずの像の瞳がふっと巡らされ、堂内のちん入者(私たち)をじろっと見られているような感じがしました。

 

まるで

 

病魔がたちどころに癒えそうな眼差し・・・

 

テレビでは、このお薬師さまが左手に持たれている薬壺の中に本物の薬(五穀・丁子・菖蒲根・朝鮮人参など)が入っていたとのことで、その薬を再現したお茶も売られていました。

 

脇侍の流麗なお姿の日光菩薩像と月光菩薩像や、ご本尊を囲むように四方に置かれた2mあまりの四天王像に目を見張りながらゆっくり見て回りました。

 

これらの仏像を遠目で眺めてみると、動かないはずの像がゆらゆらと揺らめいているように見えて1人ドキドキしていました。

 

今日の予定がこれから控えているので、あまり参拝に時間をかけられなかったのが残念。

広島から遠くないしまた別の季節に参拝したいと思いました。

 

今度は防府天満宮も参拝出来ればと期するところです。

 

外に出ると、まだ雨がポツポツと降りしきっていました。

 

帰宅後、娘が

 

「実は朝から体調が良くなかった。

 でも不思議なことがあって楽になったんよ。」

 

とのこと。

 

娘の話によると

 

帰宅途上の山陽自動車道を広島に向かって走行中の車中で、気分が悪いのをじっと我慢していると、左手に細い杖、右掌に壺のようなものを持った仏様が現れ、その後具合の悪さが消失したとのこと。

 

輪っかみたいな飾りが仏様の背後に観えたとのことで、私はお姿から多聞天さまかなあと。

 

周防国分寺のご本尊の北の位置に多聞天様のお像があったよと話すと娘はあまり覚えていないようでした。

 

国分寺の冊子を購入していたのでお像の写真を見せると

 

「この写真とは少し違うけど・・・」

 

もっとすらりとしたお姿だったと言うのです。

宝棒を持っていた手も右では無く左とのこと。

(周防国分寺多聞天様は右手に宝棒)

 

でも、直近で手を合わせたのは周防国分寺だけだし。

 

「よく分かんないけど、もう一度周防国分寺に参拝したい。

 治していただいたお礼を申し上げたい。」

 

という娘の希望で、近々再度参拝に行くことになりそうです。

 

カメラに入りきらなかった入り口の大木。

 

重厚な仁王門。

 

金堂。

雨模様なので暗く見えます。

静かな境内。

 

 

 

 

今年最初の小さな旅のお話し

元旦の地震に驚いたすぐ後、今度は羽田空港の事故があり、なんと次兄が関東地方を旅行していてその場所に偶然居合わせていました。

 

次兄はその時帰りの飛行機の搭乗手続きで建物にいて、窓から事故機の火の手が上がるのを見ていたそうです。

 

一日遅れで何とか広島に戻ってきたので、無事で良かったとラインでその旨知らせると

 

「まだ帰れん人もおるんじゃ。」

 

と一言。

 

いつも周りを慮る次兄の言葉に、それ以上何も言えなくなってしまいました。

 

飛行機事故も大変ですが、早く地震が落ち着き、被災地の方々の安全を祈るばかりです。

 

そして

 

新年早々恐縮ですが、昨年末に山口県岩国近郊の実家に日帰りで行った旅のお話。

 

実家は高齢の両親と独身の長兄の3人暮らし。

 

デイサービスも使いながら、何とか日々暮しています。

 

今回私は、家族を連れず1人車で帰省しました。

 

広島から山口へ向かうルート。

 

国道2号線から国道187号線に変わるところで横道に入り、岩徳線の線路を越えてさらに車で走ったところから右に入ってしばらく進むとコンビニがあります。

 

住んでいる島から何時間も運転してくたびれたので、何か甘いものを買って一休みすることにしました。

 

ふとみると、コンビニの駐車場から少し離れたところに

 

岩國白蛇神社

 

の幟が目に入り、神社の建物があることに気がつきました。

 

何だか気になる・・・

 

長兄が、以前ここの神社のお守りの話をしていたことを思い出しました。

 

そうだ、お守りを長兄に買っていってあげよう!

 

私がいる場所からは鳥居のある入り口が見当たらないので、そのまますぐの入り口から坂道を上がって拝殿のある境内にたどり着きました。

 

玉砂利もすっきりと整備されて誠に気持ちよく社殿も堂々としていて、ほお・・・としばらく見とれていました。

 

ご祭神は白蛇の神さまなのかな・・・と思いつつ、拝殿で手を合わせ本日の参拝の感謝を心の中で申し上げました。

 

頭をたれて目をつぶると、脳裏にとても大きな白い蛇がじっと私を見下ろしている姿が浮かび上がりました。

 

優しいでも冷たいでもなく、ただただじっと見下ろしている・・・

 

白蛇の神さまだ~!

 

と思いましたが、何となく見張られているというか、私という人間がどういう質(たち)なのかを観られているような気がしました。

 

あまりこちらもじっとしているのも無礼のような気がして、もう一度頭を下げてから社務所に行き、お守りや縁起物、おみくじを買いました。

 

おみくじは白蛇をかたどった面白い形でした。

 

ふと周りを見渡すと、少し離れた階段を地元の関係者らしき方が何人もお掃除されている様子で、鳥居はその向こうに見えました。

 

鳥居をくぐって帰りたいけど・・・お掃除の邪魔になるかも。

 

拝殿前に戻ってお辞儀をし、そのまま元来た道を帰ることにしました。

 

境内を出て車に戻りハンドルを握って発進させようとして、ハッとしました。

 

家を出てから運転中ずっと気になっていた肩こりが、スッキリ無くなっていました!

 

神さまが肩こりを治してくださったのだろうか?!

 

神さま、ありがとうございます!!!

 

思わず叫びました。

 

後で神社のHPで調べると岩國白蛇神社のご祭神は

田心姫神(たごりひめのかみ)

湍津姫神(たぎつひめのかみ)

市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

宇迦之御魂神(宇賀弁財天)(うかのみたまのかみ)

 

とのことでした。

それでは、3女神様もおられたのか・・・・

 

白蛇についてのご由緒は

 

岩国の白蛇は300年以上生息の歴史があり、岩国藩の藩主である吉川家の米蔵を白蛇がネズミの害から守ってきたと信じられ、いつの頃からか弁財天(インドの水の神)と習合し、岩国市の各地に白蛇堂や祠が創られるに至りました。

(岩國白蛇神社HPより)

 

岩国の白蛇は有名なのは知っていましたが、岩国藩主の米倉をネズミから守っていた白蛇がいたとは知りませんでした。

 

脳裏に見えた大きな白蛇様は宇迦之御魂神様なんだろうか・・・

 

ひどい肩こりを癒やしていただいたし、またいつか参拝に行こう・・・と思いました。

 

実家には昼下がりに到着。

父とは二言三言話をしただけで後はほとんど長兄と帰るまで話し込みました。

 

お土産の岩國白蛇神社のお守りを渡しながら両親との同居の苦労をひとしきり聞きつつ今後の生活のことなどいろいろ話しをして、私の大好きなハードロックの情報なども教えてもらいました。

 

長兄はその筋の音楽に詳しく、参考になる話をよくしてくれます。

 

やっぱり大好き!AC/DCの話で盛り上がりました。

 

「来日してくれんかのお・・・這ってでも行くのに。」

と兄。

 

ほうじゃね、リズムギターのお兄さん亡くなったけど・・・

アンガス・ヤングも70才ぐらいになるんかな。

あの兄弟のギターの絡みが良かったねえ・・・

 

リズムギターとしての代わりはおるじゃろうけど・・・アンガスのリードギターにあそこまでかぶせられるリズムギターはまあ・・・なかなかおらんじゃろう。」

 

どういうこと?

 

Who Made  Who 聴いてみいや。

リズムギターが最初から最後まであそこまで目だっとんで。

アンガスのギター途中出てくるけど。

あんなん出来るのお兄さんのマルコムだけじゃろう。」

 

ほお・・・そうなんじゃ。

 

実際どうなのかは分りませんが、そういう見方もあったか・・・と目をぱちくり。

 

旅のお話から始まってハード・ロックで終わる、新年はじめのお話でした。

 

 

岩國白蛇神社のおみくじ。

白蛇を象っています。

「吉」でした。

振返り そして新しい年に向けて

今年始めたブログを振り返って。

 

人生初の経験でした。

 

書きたいことを自由に書いていくことで、自分の中のいろんな思考が整理されていきました。

 

それだけに、稚拙な文章を書き散らした感も否めません。

 

徒然なるままとしてもほどほどにしないと・・・と思いました。

 

なので

 

新しい年からは書くテーマを絞っていこうと決めました。

 

自分で書いていて面白いなと思ったテーマは

 

旅(近隣、遠方関係なく)

 

歴史(過去生から観たものも含めて)

 

でした。

 

これにスピリチュアル的感覚をスパイスにして(どこまでふりかけるか塩梅にもよるけど)書いたものが自分としては興に乗る感じ。

 

書くだけ、細々と・・・

 

というスタンスは変わらずで。

 

更新間隔が空きながらでも、もう少し腰を据えた内容が書ければいいなあと。

 

 

 

今年こんな奇妙きてれつなブログにお目を通していただいたことに、深く感謝を申し上げます。

 

新しい一年がよき年になられますことを心より祈念いたします。

 

ありがとうございました!

 

兄達との絆

習っているシータヒーリングの教室で

 

「2ヶ月で自分を変える」

 

というトレーニングを受けていて、2ヶ月目の終盤に突入しました。

 

先生から最後のヒアリングとセッションを先日受けたところです。

 

最近、気分が鬱々としたり元気になったりを繰返していて、そこのところも相談しました。

 

こういうときは、人生が針路変更していることが私の場合多いです。

 

セッションの中で出てきた言葉が

 

「人が恐い」

 

掘り下げると、親との関わりの問題が浮上してきました。

 

やっぱり、そこか・・・

 

さんざん向き合ってきたけれど、まだあったか。

 

先生から

 

「蓮花さんとお兄さんの繋がりが強すぎて、親御さん特にお母さんが入り込めないもどかしさを感じられてきたようですよ。」

 

へええ~~~!

 

兄貴達とは小さい頃から喧嘩をしたり一緒に遊んだりをしてきて、今はたまにカラオケに行ったり、いろんな場面で協力しあったりの関係です。

 

人に言うと

 

「仲いいんじゃね。」

 

とよく言われます。

 

これが普通と思っていたので、特に中が良いとは思っていませんでした。

 

先生からも

 

「強固な兄妹の絆」

 

とまで言われ、そうだったかと思いました。

 

でも、そこに何やら違和感を感じるぞ・・・

 

先生も

 

「あまりにも絆が強いと言うことは、お互いを思うあまりに自由に軽々と生きていくのが難しくなる原因になったりしますよ。

なぜそうなったか、リーディングしてきていいですか?」

 

はい、お願いします。

 

観ていただいた内容を元に私のリーディングも加えたお話は・・・

 

戦国時代とおぼしき時代。

炎があちこち上っている城内。

落城寸前の天守の一角の部屋に、鎧武者姿の若い武将が3人車座で座っています。

 

私と兄2人の過去生の姿で、その人生最後の場面でした。

 

「もはやこれまで」

「兄弟3人、次に生まれ来る時は、太平の世で仲良く暮そうぞ。」

「兄者!」

 

と叫んだのは私(の過去生)でした。

 

このときも末っ子だったんだ、と思いました。

 

親の無策な戦略のせいでこの状態になったようです。

 

(このときもこんな親だったか・・・)

 

と苦々しく思いました。

 

 

「その時もだけど、今も親御さんとの齟齬に対して、お兄さん達と何とか乗り越えられてきたみたいですね。」

 

はい、そうです・・・

(このときにはもう滂沱の涙)

 

兄達も私も、口には出さずにいろんな場面でいろんなことを助け合ってきたことを思い出しました。

 

「本当に、絆が強いですね・・・蓮花さんはそのことをどう思われてますか?」

 

あまりにも強すぎると・・・お互いをある意味束縛しそうですね。

自分だけ幸せになっちゃいけないとか思ったり。

 

「そうですね。どうなったらいいと思いますか?」

 

兄達も私も・・・もっと自由にのびのびと自分らしく楽しく生きていけたらと思います。

 

潜在意識にこの思いはあるのか、手を使った筋反射テストをすると全然入っていませんでした。

 

過去生の兄が最期に言った

 

「太平の世で楽しく暮す」

 

とは、きっとこのことを願っていたはず。

 

お互いがお互いを思うあまり自分も相手も苦しい、は絶対違う。

 

それにしても

 

「人が恐い」

 

から

 

まさかの兄妹の絆に発展するとは。

 

先生にしっかりヒーリングをしていただき、現在親と同居している長兄の苦しみに対するケアの仕方も教わりました。

 

終了して外に出ると、心も体もふわりとして軽くなっていました。

 

兄貴達、幸せになろうや、今度こそ!

 

とつぶやきつつ家路に向かったのでした。

 

 

 

 

関連過去記事 ↓

 

 

 

家事について考えたこと

夫は家の前の畑や近くの山で野菜や果物を作っています。

 

採れた果物をひょんなご縁で、我が家の近所にあるカフェで売ってもらえることになりました。

 

昨日もお店が開いてすぐに果物を搬入に行き、ついでに美味しいコーヒーをいただくことに。

 

焼き菓子も何種類かの中からチョイス。

 

寒さでかじかんだ手でコーヒーカップを包むと、段々と掌が温かくなってきて心までホッとくつろいでくるようです。

 

このカフェは島はもちろん近隣でも評判で、日々多くのお客さんが来られます。

 

私がお店にいたときもコーヒー豆や軽食のオーダーが次々に入りました。

 

オーナーのご主人が

 

「さあ、仕事!仕事!」

 

とつぶやかれているのを耳にして

 

私、専業主婦で仕事してなくて・・・

 

と言うと

 

「何言ってんですか。

 家事を仕事で換算すると年間300万円から400万円の仕事になるそうですよ!

 子育ても入るとそれ以上。

 大変なんですから。」

 

なるほど・・・

ハウスキーパーを雇って同様の家事をやってもらうとなると,確かに。

 

こりゃ、失礼しました。

考えが足りませんでした。

 

じゃあ、家事をしてもらってる側が

『誰の金で食わせてもらってると思ってんだ!』

なんてこと言っちゃいけませんね。

 

と私が続けて言うと

 

「そういうこと。

 じゃあ、この食事、洗濯や掃除に買い物、その他町内会の事、子供の行事関係、全部やってみ!てことですよ。」

 

ふむふむ。

 

私は我が夫が

 

「誰のおかげで食わせてもらってると思ってんだ!。」

 

と言ったとしたらどうかなあと想像してみました。

 

たぶん私が激高して仁王立ちで(プラス夜叉の形相で)

(※画像はお借りしました)

 

じゃあ、今からあなたが生活のこと全部やってちょうだい!

掃除洗濯炊事、息子の毎朝のお弁当作りもあるんだからね。

それに町内会の対応や日々のゴミ出しに猫の世話。

 

全部よ!

 

と啖呵切るだろうなあ・・・

 

家出もするかなあ・・・

 

いろいろ空想しました。

 

お皿に残ったお菓子をほおばりつつコーヒーを飲み干し、お礼を言ってお店を出ました。

 

お給料はないけど時にカフェに行けたり、趣味の刺しゅうを自由に刺したり・・・まあこれはこれで。

 

ちょっと自分の気持ちが軽くなったような気がしました。