観えたこと想うこと草子

旅と歴史をメインに少しスピリチュアルなお話を綴ります。

変化いろいろ

この週末は、小さな神社の祭礼が行われ、やっと息子が獅子舞を奉納することが出来ました。

家族皆ほっと安堵の心持ちになりました。

 

コロナ感染のため息子達は9月に行われた氏神神社の大きな祭礼に参加できず、夏の一ヶ月かけての練習がもしかしたら無駄になってしまうのか・・・とも思っていました。

 

いつもの練習通り、お囃子の合図で舞が始まりました。

 

息子達の舞う獅子のお面の大きな目が、動きによっては光の加減でまるで生きているように見えました。

 

何かが乗りうつったかのように、息子達は一度も祭礼を経験出来なかったとは思えないほど円熟味のある動きで舞っていました。

 

これは一体

どうしたことだろう・・・?

 

舞を指導されてきた師匠の様子を見ると、息子達の動きを満足そうに見守っています。

 

「坊ちゃんやっと舞えてよかったねえ・・・」

「やっと舞えたんじゃねえ。」

 

デジカメで息子達を撮影している私に、周りにいた地域の方々が次々に声をかけてくださいました。

 

こんなにも息子達を案じてくださる人がおられたとは・・・

 

思わず目頭が熱くなるのを感じました。

 

終わった後、息子達が胴上げされる姿を眺めつつ、これで良かったのかもしれない・・・

やっと私も夫もこれまでのことを全肯定できたかな・・・。

 

この経験を通して、説明が難しいけれど息子を始め家族皆精神的に成長したというか。

 

少し大げさかな。。。

 

そして

 

昨日いつものヒーリング教室に行って、受講生同士でセッション練習する際に私は自分が変化している・・・を実感しました。

 

何か、透徹しているというか。

相変わらず自分の心の底を除いたときに、怒りやら憤りやら不安やらがふつふつと湧き上がってくるのは変わらずで、でもどこかで一線を引いて眺めている自分がいる。

 

上手くセッション出来なくても私。

腹も立つけどそれも私。

上手に出来たとしたら嬉しいかな。

 

これ以上でもこれ以下でもない。

 

何が悪くて何が良くてが、結局心の持ちようというか。

 

外から文句を言われたとしてもそれまでのことで。

 

へええ~私すげえじゃん。

 

いつまで続くかな。

 

続かなくても、どっちでもいいか。

 

なんてことを考えた一日でした。