観えたこと想うこと草子

旅と歴史をメインに少しスピリチュアルなお話を綴ります。

揉めてはいてもそれなりに

現在地元の祭礼関係で町内会活動に参加しています。

 

PTA活動や学校の行事など人が集まるところ、上手くいくところいかないところ、必ずあるようで。

 

批判精神旺盛な方はお決まりのようにおられて、少人数の徒党で

 

「あれがいけない」

「ここがおかしい」

 

と言い立てる様子をよく目にします。

 

こういった方々は、批判精神とともに「改善していこう」の意欲を持ち合わせているということもあるようです。

 

善意なる愚痴というか、そこに実行が伴うと良いことになったり、逆に軋轢が生まれたり。

(難しい・・・)

 

 

今回参加している祭礼の活動でも一方的な不満や批判の様子が見られ、前回深く関わった関係でどうにかしたいと私も思ったりなどしました。

 

昨日は早めに息子の舞の稽古を見に行くなど、話しかけるチャンスがあればそれぞれに様子を聴いてみようかなどと老婆心で気をもんでいたところ、当の批判を受けている人はあっけらかんと仕事をこなして誰にも明るく振る舞っている。

 

不満のあるヒソヒソ組は少し離れたところにいて、それなりに活動に参加していて。

 

全体を見ると全く問題なく進んでいると言えばそうともとれる。

 

はっとしました。

 

文句を言う人はどんな状況でも文句を言うものだと。

 

ここで私が動いて不満組の申し立てを調停したところで、また新たに不満を見つけてはヒソヒソやり出すだろう。

 

ほっとこう。

 

確かに進んでいる全体のこの流れを信頼してみよう。

 

そう思いました。

 

町内会活動によく参加している次兄が

 

「もめない町内会とかPTAは聞いたことがない。」

 

と断言していたことを思い出しました。

 

不満や批判ありき、でいいのかな。

 

無事進んでいれば。