観えたこと想うこと草子

旅と歴史をメインに少しスピリチュアルなお話を綴ります。

暑さ続く日に想うこと

残暑が厳しい時節、体調には気をつける日々です。

なんでこんなに暑い夏になったのやら・・・

 

歴史で習った小氷河期や、富士山の噴火など昔も過酷な環境の時代があったことを思い出しました。

 

最近は地震も頻発しているし。

 

こうした日々の中、日常を続けていくように気持ちを奮い立たせなくては。

 

 

昨日、地元の本屋さんへ行くと

 

上村松園 随筆集」(平凡社ライブラリー 934)

 

という本があって手に取り、口絵の美しさと懐かしさで購入。

 

上村松園は明治から昭和に生きた女性。

きりりとした気品のある美人画を得意とした日本画家です。

 

この方の絵が若い頃から大好きで、近隣で展覧会があるとよく見に行きました。

 

随筆集は図書館で何冊か借りて読んだけど、買うのは初めて。

 

上村松園・・・久方ぶりだなと目を通しました。

 

本の中で心に響く言葉がありました。

 

実際のものを写生し、写生し、徹底的に写生して、今度はぽんとその写生をほかしてしまうのですね、一ぱしほってしまってから今度は自分の個性でその写生以上のものをこしらえてゆくのが大事なのです。

そうした勉強の土台の上で自分の持ち前のものを、自分にしかないものを、自分にはぐくみそだててゆくことが大事なのです。

 

読んでいて、守破離(しゅはり)という言葉を思い出しました。

 

ネットで意味を検索すると 以下↓

修業における段階を示したもの。 「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。 「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。 「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

 

何かの修行とまではいかなくとも、普段の日々の中の仕事や趣味のこと、お料理などなどいろんな場面で・・・参考にして始めたことを、自分の工夫を入れていくうちに個性あふれるものにしていくということはあるかもと思いました。

 

今私にとって、ここまで追い込んで打ち込んで、何かやっているかといえば何があるだろう・・・と思いました。

 

趣味というか習っているものが二つありました。

 

ヒーリングの勉強は継続中で、未だ師の範を越えず。

刺繍は習うのが精一杯で独自のものをといってもまだまだ。

 

自分に独自のものに変えていけるほど、これらの趣味をやり抜く根性があるのかどうか。

 

好きかと問われれば大好き!と答えられる自信はある・・・

 

将来こうしたいとかああしたいとかは今はぼんやりとしか考えられない。

 

続けていくと見えてくるものがあるだろうとしか今は分らないし。

 

性格的にもう少しダラダラするのも良いような気がする…

 

今回この本を読んで

 

いろいろと自分の来し方行く末を想うきっかけになりました。

 

でも、まあ・・・

 

あまりあれこれ考えずに自分の心の赴くままでも。