観えたこと想うこと草子

旅と歴史をメインに少しスピリチュアルなお話を綴ります。

さらに神様に好かれる人 を考えてみた

お祭りの舞や楽打ち(児童の太鼓)の指導をする師匠達がどことなく違う雰囲気をまとう謎をさらに考えてみました。

 

あの人たちが特別ということじゃなくて

 

もしかしたら、誰でもあんな風になれるんじゃなかろうか・・・

 

ふと降りてきたのが

 

聖書にこんな言葉があったことを思い出しました。

(熱を出して寝込んだときになぜか聖書を読みます)

 

マルコ伝 10章の中から

 イエスの触り給わんことを望みて、人々幼児(おさなご)らを連れ来たりしに、弟子達禁(いま)しめたれば、イエス之(これ)を見、いきどほりて言ひたまふ『幼児らの我に来たるを許せ、

止(とど)むな、神の国はかくのごとき者の国なり。(抜粋)』

 

天国は子供のような者の国であるという意味なのでしょう。

 

子供はもちろん子供のような心を持てば神の意に沿う事になるのではないか・・・

 

西洋と東洋の神様という違いはありますが、ここにヒントがあるぞ!と気がつきました。

 

お祭りの師匠達はきっと、教えることを心から楽しみ、神事を次世代に伝えることに喜びと誇りを持っておられるのでしょう。

 

長年続けてこられたのも、本当に楽しんでいたからではないかと。

 

だとすれば、内容は問わず子供の心にかえって夢中になれることに携わることが出来れば、あのようにキラリとした雰囲気を醸し出せるのではないか。

 

神様が喜ぶのはあのような心持ちのことをいうのではないかしら・・・

 

もしかしたら世間さまに知れ渡った概念かもしれないけど、(どこかで耳にしたような気もするし)私にとっては大きな発見でした。