昨日は、夫の実家に戻って17年目にして初めて、地区のお寺の清掃活動に参加しました。
ずっと仕事をしてきたので、仏教婦人会の方々が私を誘うのを遠慮されていたのだろうと思います。
8月は地区の戦没者慰霊の式典や、お盆の行事があります。
その準備のための清掃活動でもあります。
今日は長崎の原爆慰霊の日。
15日は終戦の日。
母方の叔父2人が太平洋戦争で戦死しており、幼少時から8月になると、母から叔父たちのことを繰り返し聞かされて育ちました。
次の日の16日は私の誕生日です。
私にとって8月は祈りと思いを深くする月。
きっと、ずっと。
今回の旅の最後の目的地
を参拝したお話。
簸の川上に於いて八岐遠呂智(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、稲田姫と共にこの須賀の地に至り「吾が御心清々し」とおっしやつて宮造りをなさった。そのとき美しい雲の立ち昇るのを見て、
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」
と歌い、日本で始めての宮殿を作り、鎮まりました。これが古事記・日本書紀に記載されている「須賀宮(すがのみや)」であり、日本初之宮(にほんはつのみや)であります。 三十一文字の歌も日本で一番古い歌であり、この地が「和歌発祥の社」と呼ばれる由縁でもあります。また、この歌の中の「出雲」が出雲の国名の起元であり、「八雲立つ」は「出雲」の枕詞であります。
須我神社HPより
車で向かう途中、それまでカンカンの日照りだったのに、にわかに空がかき曇りポツポツと雨が降ってきました。
暑さでダウン気味だった私にとっては少しでも気温が下がるのは有り難い。
駐車場に車を停めて、ポツポツ雨が降る中、傘をもって拝殿へ向かう階段を登りました。
どっしりとした大社造りの建物を目の前にして
何と形容して良いのか・・・
額の辺りに圧倒される何かを感じつつ、手を合わせ目を閉じました。
すると
雲間の一角が切れ、私の頭と合わせた両手に鋭く陽の光が刺してきました。
わわわ!
何も考えられず必死でいつものご挨拶を頭の中で宣べました。
何を思おうと何と唱えようと全て、神様の前では隠しようが無い。
今この日記を書いていてふと心に浮かんできたことです。
さて、私が手を合わせている間
夫はというと、いつの間にかあちこちを歩き回ってデジカメで写真を撮ったり、授与所の方に奥宮の磐座に行く道を尋ねたりしていました。
非常に現実的な動きだ・・・
授与所の方にとても丁寧に道案内をしていただきました。
ここから少し離れた八雲山の中腹に須我神社の奥宮である夫婦岩が鎮座しています。
日がやや西に傾く頃。
夕飯に間に合うよう子供達や黒猫くんの待つ家に帰らねば。
急いで奥宮に向かいました。
しばらく車に乗って八雲山の登山道入り口付近に車を停め、置いてあった杖をお借りして登り始めました。
雨はほとんど止んで雲はかかったまま、ひどい暑さではないのが有り難い・・・
途中身を清める滝で手を清めてさらに山の中を登っていきます。
日頃の運動不足で夫に遅れをとりながら何とか奥宮の夫婦岩にたどり着くことが出来ました。
こんなに気軽に来て良いのだろうか・・・とやや気後れしつつ、磐座の迫力に圧倒されながらも手を合わせました。
木々に覆われた薄暗い場所でしたが、上からまっすぐ、合わせた両手に日射しが一瞬射しこんできたのには心底驚きました。
こちらの神様は・・・
雲や天候を自在に操る神様なのかもしれない・・・
ひたすら畏れ多くて
ここまで来させていただいたことを心から感謝しました。
こうして一泊二日の夫婦の夏の疲労を癒やす(はずだった)旅が終わりました。
終わってみればなかなかハードな体力勝負の動き方をしていたなあと思います。
2日ほどはあちこち筋肉痛でした。
心の方はばっちり浄化されて、自分が自分らしくいられる心地よさが続いています。
顔の表情筋がどこも引っかかりがなく、ふくふくと笑える喜びは何物にも代えがたい。
実に有り難い旅でした。
ご由緒
この場所に立つだけで身が引き締まります
拝殿を臨む
夫婦岩(奥宮)が鎮座する八雲山登山口
杖を拝借して登りました。
夫婦岩が見えてきました。
左上の空が神々しい。
夫婦岩。
古代からの神聖な場所。
前に立つと心が震えます。