観えたこと想うこと草子

旅と歴史をメインに少しスピリチュアルなお話を綴ります。

お盆に想うこと

暦の上では立秋も過ぎて、何となく朝の風に秋の気配が漂う中国地方。

 

昨日は我が家の先祖代々のお墓参りに行きました。

 

ここの地域は今日から3日間がお盆とのことで、今日はこれから一日かけて夫の親戚関係のお墓参りを何カ所か巡る予定です。

 

ここ数日は私が用事で忙しかったので、これからご先祖様をお迎えする支度をします。

 

仏壇にお花を飾り果物やお菓子をどっさりお供えし、ろうそくを灯しお香を焚くという昔から行ってきた支度です。

 

目には見えないけれど、お盆の3日間の仏間はどこか賑やかな雰囲気に満ちている気がします。

 

いつだったかずいぶん前のお盆に近い頃、美味しそうな桃を購入したことがありました。

(夫の両親は既に亡くなっています)

 

洗ってさあ食べようかという時になぜか私はお仏壇がすごおく気になりました。

 

無視して桃の皮を剥こうとするとやはり手が止まる。

 

お盆にはまだ早いけれどお仏壇にお供えしてからいただいた方が良いような気がする・・・

 

お皿に桃を盛ってお仏壇にお供えすると何というか・・・気持ちがおさまるというか、不思議な満足感がありました。

それから桃を美味しくいただきました。

心も満足した美味しさでした。

 

それからは、お土産で買ってきた和菓子や果物はお仏壇にお供えしてからいただくようにしています。

 

私の家は、父親は無神論者、母親は仏壇が無い家なので、タンスの上に聖天さんと弘法大師親鸞聖人の絵を飾って(日替わりか同時かは覚えていませんが)拝むような人でした。

(自分の子供には手を合わせることを強要しませんでしたが)

 

お墓参りもほとんどしたことも無く、ごくたまにお墓参りに行っても形式的に手を合わせるだけ。

 

というわけで、それらしい作法も教養も全く無く育ちました。

 

今思うと複数の宗派の違う教祖の絵を並べて手を合わせるってどういうポリシーなんだろう・・・と素朴に不思議だし疑問です。

 

そんな私が、仏壇もあり毎年のお墓参りは欠かさず報恩講もある家に嫁ぎました。

とはいえ、夫はそれほど信仰心があるわけでもない。

 

私は神仏に興味が出てきた上での信仰心。

本を読んだり人に教えてもらったり自分の直感だったりの理解で関わっています。

 

今はお仏壇に毎朝のお茶やお水は欠かさず、ご飯を炊いたらお供えし、花も季節のものを飾ったりを無理のない範囲で続けています。

 

お経も読まねば!ではなく

 

今日はお経を上げよう

 

と思いついたときに読んでいます。

 

不思議と言えば

 

夫が火事を気にするので、いつもお灯明をつけて拝んだらすぐ消すのに、なぜかつけたままにし、お花を飾ってお経も読みたくなって・・・となった時がありました。

 

あ、今日はお義父様の命日だった!

 

と後から思い出したということがありました。

 

きっちりされている方から見れば呆れられるかもしれませんね。

 

我が家のお盆のお話でした。