今日はロングバージョンになりそう。
明瞭簡潔かつ流麗のユリウス・カエサルを標榜する私が。(笑)
でも「ガリア戦記」は長いぞ。
前回の続きです。
私が旅行を予定している海について以前セッションしてもらっていたヒーラー仲間にも
「歴史を知って慰霊をするといいよ。」
と言われていたんだっけ。
ネットで歴史や地理を検索し、仕事を退職して以来久々の使命感を感じながら資料を読み込んでいきました。
でも
何か違和感。
なんだろ。。
やりたくない。
昼には読むのをやめて、いつもの家事をこなしてからぼんやり休んでいると「それ」はやって来ました。
胸のあたりにやさしいというかまどろんだ感じの感覚がやってきました。
「地球のために毎日朝と夜2回無条件の愛を送ってるよ。」と言っていたヒーラー仲間の顔が浮かんできました。偉いなあ。。。
(シータには唯一相手の許可をいただかずに送れる「無条件の愛」というヒーリング方法があります)
「神社の神様は最近お疲れですから、参拝のときに無条件の愛を神様に送ってます。」と先生が言われていたっけ・・・
すると、この地球のため、世界の人々のために有形無形の祈りを捧げている人たちの存在を感じました。
戦争や災害、日々の苦しみや不安、怖れ。
自分に対してと言うより、自分以外の何かに対して。
自分に対しても。
ただひたすら感謝の祈りを捧げる人も。
祈る人、行動する人。
それに比べて私はなんだろう。。。
私がやっていることは、マニュアル本をもとに祈りを捧げる行為のように感じました。
海で亡くなった方たちのためにそれはいいことなんだろうか。
その地元で生まれて、そこの空気を肌で感じて育った人が、地元の古老に過去に起った海難事故を聞いて知り、悲痛な出来事に胸をいっぱいにしながら海辺に立って亡くなった方たちに想いを寄せて祈りを捧げたとしたら・・・
私が、資料を詰め込んだ頭で、作法通りのやり方で行う慰霊に意味があるのだろうか。
情けなくて、目を閉じました。
目を開けるとカゲロウのようなものが目の前をゆらゆら揺れているのが見えました。
何も考えずじっとそれを見つめていると、だれかが私をやさしく見守っているのを感じました。
カゲロウはしばらくして消えました。
それはなんなのか、いつものように追求するのも馬鹿馬鹿しく、しばらくぼんやりしていました。
そして思いました。
私の前にもその海へ行って鎮魂の祈りを捧げた人がいるはず。
私の後にもまた別の人が祈りを捧げるだろう。
今回たまたまその場所へ行く予定にしたから、慰霊するようお導きされただけで、私が行ったからといって、海が割れ、雷鳴とどろいた後で虹が出て、彩雲がたなびくわけではない。
ただ、自分の前に置かれた事象を受け入れるだけで癒やされる魂が存在する。
それだけ。
「出来る範囲で出来ることをすればよい」
はこういうことだった。
私にいつも(主に)インスピをくれるのは守護霊さん。
くくりでいくと「指導霊」になるのかな。ときに鉄拳の指導が入ります。
とても厳しく、かつめちゃ温かい。
約2千年前に生きていた方で、私の過去生さんということも判明しています。
この辺の不思議な事情もいつかお伝えできたらと思います。