ちょっとあり得ないという状況に出会うと、何でもない日常がふいに愛おしくなる。
最近そんな心持ちで過ごしています。
掃除をしながら、先週同じ所を磨いたときはなんてことなかったけど、あの時は今の苦しみはなくて普通に幸せだったんだなあとか。
こんなことになっても、風は吹くし太陽は東から昇るんだなあとか。
苦しみや悲しみは、これまで気にもせず、見えてもいなかったものを見せてくれる力があるのかもしれません。
某アニメの主題歌やサガンの小説で聞いたことがあるこの言葉。
まさに今はそんな気分。
とは言え50代の私が
『 おろしたての笑顔で 知らない人にも おはようと言えたの ♪ 』
なんてやったら、通報されてしまうかも・・・
(閑話休題)
ご飯作りや掃除洗濯などの日々の私の行事は過ぎていきます。
お腹は相変わらずすくし、夜になると眠くなる。
縄文時代はどうだったんだろう・・・と突拍子もなく考えました。
今よりずっと手がかかったろう日々生きるための作業。
丹念に日々を送ることで、現代人には想像の及ばない智慧や能力が培われたのではなかろうか。
例えば、石笛一つ作るのも勾玉一つ磨くのも、何時間もコツコツと手間暇かけて作業しただろう・・・
同じ事を何時間も、何日も・・・
それが普通で、苦痛でもなく。
今のようにスマホ見ながらポテチを食べつつ音楽聴くとかはなくて。
無意識な一つ一つの行動に、自然に気持ちを入れた生活じゃなかったろうかと思います。
そうして時に荒ぶることもある心を、単調かつ丁寧な日々の中で平らにならして静めていたかもしれない。
家事や仕事、勉強でも何でも、日々の目の前のことを丁寧にやっていくことは自分を整え、将来の大事なことに繋がるのではないかと思いました。
秋分の日を越えて、夜の風もやっと秋らしくなってきたこの頃。
虫の音を聞きながら、静かに考えにふけります。