尾道の西國寺に息子の健康祈願のための参拝をして1日経った日。
5年に一回の地域の八幡神社の祭礼の役について関係の方から依頼の通知が来ました。
なり手がいない現状、中学生も対象として募っていました。
なんと、まだ体が本調子ではない息子が手を上げ、地元の同級生と2人で獅子を舞うことに。
びっくりしました。
小学生の時も、祭礼で太鼓を叩いた経験はありました。
暑い時期に毎日稽古もあるなど、お役目を果たせるのだろうか・・・と親としては心配なのですが、神様のお役に立てるということはとても嬉しい。
ここは息子の可能性に任せることにしました。
5年前の祭礼の時のことを思い出しました。
その時、私は太鼓を叩く役の小学生の子供達のお世話係を、1ヶ月半ほどさせていただきました。
まだ日本の神様仏様に興味を持ったばかりの頃で、神仏の存在に半信半疑の私でした。
子供達の保護者や稽古に関わる関係者への対応、夕方から始まる毎日の稽古時の会場準備や掃除の割り当て、お囃子の笛の師匠用の清涼飲料水の手配・・・フルタイムの仕事をしながらの作業で、正直きつかったです。
そんな中、八幡さんに何かの用があって立ち寄りました。
信心が大して無かった私は境内の拝殿に背を向けて、この祭礼の役割について不平不満を知人に電話で話したのです。
そして、祭礼が無事に終わった後、夫が
「お母ちゃん頑張ったからご褒美に好きなことしていいよ。」
と言ってくれたので、その年の10月、ツアーで奈良県の玉置神社に参拝することにしました。
大して信心が無いくせに、この神社に行きたいと思ったのでした。
そして
神社に到着し、おみくじを引きました。
おみくじの裏に「神の教」として書かれていた詞の一文に目がとまりました。
「神様は不浄をうけたまわぬ。神様につなぐ心の綱は、あくまで清くなければならぬ。」
という非常に厳しい内容。
なぜ?私が一体何をしたのだろう・・・
初めて来る神社なのに。
神様は何をお怒りなのかしら・・・
ルンルンしていた心はとたんに奈落の底に落ち、それからはとぼとぼと下を向いてツアー客の後をついて歩くのがやっと。
気にしなければそれまでのこと。
だけどこの時はなぜかこの内容に打ちのめされたような思いがしました。
旅が終わった翌日、偶然スピリチュアルなリーディングセッションを申し込んでいたので、早速この件について聞いてみました。
言われたのは
「神様はこうおっしゃってるよ。
『神事に携わる者が境内で神事の不平不満を口にすることをしてはいけない・・・。』
でもね、蓮花さんがトボトボ歩くのをご覧になって
『ちとこらしめが厳しかったかのう・・・』
とも言われているよ。
神様の真心から言われたことだからね。」
驚きました。
地元の八幡さんの境内で不平不満を拝殿に背を向けて口にしたことを、遠く離れた玉置神社の神様にとがめられるとは・・・
恥ずかしくて穴があったら入りたい心境でした。
悪いことは絶対出来ない!とも思いました。
神様って独自のネットワークがあると聞いたことがあります。
本当のことだったのですね。
そしてこのときから、私は神様仏様の存在を心から信じられるようになりました。
玉置神社の駐車場からの眺め。