観えたこと想うこと草子

旅と歴史をメインに少しスピリチュアルなお話を綴ります。

神様に好かれる人 を考えてみた

我が家の息子は、ほぼ毎日夜間2時間ほど、地元の八幡神社例祭の獅子舞の稽古に明け暮れています。

 

舞を指導する師匠は、地元で農業を営んでいる60代初めの男性。

 

優しさの中に厳しさもチラリとのぞく指導をいただいています。

 

 

 

初めて顔合わせをしたのは先月半ば。

 

親子ともども地区の宮総代も顔をそろえた場でお会いしました。

 

見た目は素朴なごく普通の方なのですが、私はパッと観た瞬間

 

神様に好かれている人

 

理由もなくそう思いました。

 

オーラが半端なく大きくて神々しいとか、目つきが只者じゃないとかでは全然なくて

 

ヨレヨレのシャツを着て髪もバサバサ、実に素朴でどこにでもいそうなざっくばらんな感じの方なのですが、どこがどう違うのか説明が難しいのですが、根拠なくそう感じました。

 

想うに、五年ごととはいえ神様事にもう何十年と携われるのは、既に只者ではないのではないか・・・

 

どうしたらこんな風になれるんだろう・・・と密かに観察するのですが、至って普通でこうしたらこうなるというものでも無さそう。

 

無駄口を叩かないしそういう人がいたらそっと離れる、礼儀はきちんとして時間は守る・・・

 

ふむふむ、ここは真似しよう・・・

 

と頭の中のメモ帳に記入しつつ、かといって狙って出来るものでもないことも実は分っていて。

 

よく見ると、雌獅子の師匠や太鼓の楽打ちの師匠も皆、雰囲気がどこか似ている。

 

皆さんもう何十年と指導に携わりそれなりに経年の変化もおありだが、何だろう、あの目がキラリとして凜とした表情のおじさん達・・・

 

練習の様子をわらわらと見に来ている近所の同年代の方々を見ると皆年格好変わらず、のはずなのになぜか師匠方だけ雰囲気が全然違う。

 

教えている最中は雰囲気が変わって、お祭りが終わったら普通のおじさんに戻ってしまうのか。

それともあれが素なのか。

 

謎です。