なぜか先日目覚めるときに、子供の頃見ていたアニメ名作劇場「フランダースの犬」の最後のシーンが脳裏に浮かんできたり、家事しながらのハミングが気づいたらそのアニソンだったり・・・
はて???となりました。
「フランダースの犬」のラストシーンとは言うまでもなく
主人公ネロがルーベンスの絵の前で愛犬パトラッシュとともに最後を迎える場面なのですが・・・
当時はいろんなことに感覚が鈍感な子供でしたが、それでも涙なしではこのラストシーンを見れませんでした。
原作そしてアニメも名作だと思います。
なんで何十年も前に見たアニメのことが突然今ごろ出るかな・・・と思いつつ
ネットで「フランダースの犬」を検索するといろんな情報が見つかって非常に興味深かったです。
原作者のウィーダがベルギー人ではなくイギリス人だったというのは知りませんでした。
当時のベルギーが晋仏戦争の被害を受けて市民は苦しい生活を強いられ
「貧乏人の馬」と称する犬を実際に使役に使っていたとか。
他にもいろいろ情報が検索すると出てきましたが、ほどほどでネットを見るのを止めました。
この物語を語る上で私が一番腹が立つのは、主人公のネロを火事の犯人扱いした地元の有力者の「旦那さま」ではなく、最初の場面でパトラッシュを虐待していた金物屋です。
かの有力者は遅しといえども後で改心しているので、まだ・・・
(でもかなり腹立つ)
とにかく
弱い動物を虐げるとは何事ぞ・・・
子供や動物など(植物も)自分より弱い立場に対する処遇を見ると、その人の品性が一番よく出るよなあ・・・といつも思います。
その他私が特に思いを致すのが
ネロが次から次へと(ありえへん)不幸の嵐に見舞われてしまって、本人の知らないところで状況が好転していることも気づかずに亡くなってしまう最後に向かう場面。
有りなのか?!
一体こういう終わり方って有りなのか?!
と1人勝手に憤慨して、まあ原作者が考えた小説のラストなのだしそこまで感情移入してもどうしようもないけど。
守護霊さんはこんな時どうするんだろう・・・?!
と考えました。
きっと一生懸命
「ネロ、もう少しここで待っていれば旦那さまが帰ってくるぞ!そしたら何もかもよくなるんだぞ!」
と呼びかけていたかもしれない。
でも絶望のどん底のネロにはその声は届かなかったのでしょう。
どんな善人でも絶望や恐怖、悲しみに覆われていると大切なメッセージは受け取りにくいのかもしれない。
一抹の笑いがあったら事態は急展開したことだろうに。
長兄が
「どんな苦しいときもユーモアだけは絶対忘れるな。」
と常々言っておりますが、案外これ真理なのかもしれない・・・と思いました。