当分ブログのネタはないだろうと寝付くのですが、今日も目覚めた瞬間お題が来ました。
今日は
「見えない世界に繋がる注意点」
についてスポットライトを当てます。
私もかつては憧れを持っていた
「神仏と繋がってコミュニケーションする」
「龍神様や妖精を見たい・話をしたい」
そこにはドキドキするような
「怖いもの見たさ」
「自分ってこんなことできるし」
「神仏と繋がれる自分って・・・(エヘン!)」
というエゴというか念を感じます。
(自戒を込めています)
中には自分の私利私欲に利用しようという輩もいるかもしれない
今だから思うけど、この思想で果たして3次元の人間とは比べるべくもない高次元かつ高波動の神仏や自然の精霊達と正しく繋がれるのでしょうか?
冷静に考えると自ずと答えが出ます。
明らかに「エゴ」を持ったままで繋がっているとしたら、神仏やご先祖様、背後の守護の方などから注意を促すような合図は無かったでしょうか?
自分の繋がっている先は何なのか。
妙なものに繋がり続けると、神聖な存在からの注意喚起も気づけなくなるみたいです
ね。
大事なのは、
・自分の状態や周りの状況
・なぜ、自分はこう思い行動するのか
に想いを巡らし我に返ること。
映画「天使にラブソングを Ⅱ」の中で、主人公のデロリスがやんちゃな生徒たち
に似たようなことを語っていたけど、あんな感じ。
いついかなる状況でも 自分の意志で
「我に返る」
そして、
「自分って本当は何がしたいのかな?」
という自問。
そこから本当にやるべきことが立ち現れていくでしょう。
命や人生にも関わるテーマではないかと私は想います。
注意喚起してとめてくれる家族や友人がそばにいる人はかなり安全地帯にいるけれ
ど、そうじゃない場合は非常に危うい状況でもそのまま突っ走ることがある。
我に返ったとき、モヤモヤと胸のあたりに重たいものが広がる感じがする時。
それをなかったことにして前に進もうとするのならば、それはもはや
「本来の道とずれている」
と私は捉えています。
それこそ、ほんの些細な約束事、今パッシングしていった車、人生の大きな転換点
となった出来事とか、規模の大小はなく
「もやもや」発生装置は起動するのではないかと分析しております。
それこそ、自分の中身をとらえる絶好のチャンス。
書き直していたらなんか視点がずれてきた。。。
「観る」について今後も考察を続けようと思うので、まずはこういう話を。