観えたこと想うこと草子

旅と歴史をメインに少しスピリチュアルなお話を綴ります。

過去生考

ブログにまだ不慣れで、適当にクリックしたら自分で自分のブログに「いいね」みたいなことをするはめに。

 

 

 

滑稽の極みです。

 

 

 

 

自分の覚書きのつもりのブログなので好きなこと書けば良いか、と気を取り直し。

 

 

 

過去生についてさっきから何度も脳裏に「過去生」ワードでメッセージがくるので

 

 「書きなさい」

 

ということかなと。

今回もとりとめなく、おちもなく。

 

私はシータヒーリングというアメリカ発祥のヒーリング方法を学び中です。

その中で過去生テーマは割と出てくるけど「前世○○の王様だったから今はこんなことで苦労してる」みたいな分析はほとんどしない。(たまにするときも)

 

練習のセッション中で観えたら、そこはスルっと客観的に対応しすぐヒーリングして浄化ということをしております。

悲惨な過去生ほど、ほんとにドライに処理というか浄化しちゃいます。

 

面白いのでねちねちと掘り下げてしまいがちだけど。 

 

 以前

 

「過去生を知ったからって何になるんですか?」

 

と言われたことがあって、そうだなあ、エンタメかなあと思ったことがあります。

 

今こういうことに興味があって、それが一般的な水準より上手に出来るのであればそれは○○という過去生だったからだよ、という分析は面白いし納得できる。

私も興味があっていろいろ調べたりしたこともあります。

 

が、今想うことは少し変化していて

 

「今この地球上に2本の足で立っているこの自分。この人生が一番大事」

 

になってます。

 

なので何でしょう、過去生って。

自分の中の確かに一部分であり、それが陰にも陽にも影響してくる存在で、場合によっては対応しなくちゃいけないこともあるけれど、結局は今の自分がいなければ過去生も存在しないわけで。

 

何かを始めようとするとき

 

「過去生○○してたからこれをしなくちゃ」

 

よりも

 

「小さいとき(若かった頃)に夢中でやっていたこと」を思い出してやってみる

 

こっちの方が今の人生になじみが早そうな気がします。