2日目も関東地方は快晴。
「大寒波到来」
とテレビのニュースで騒いでいたので、けっこう着こんで外に出たところ、全然普通の寒さでズッコケました。
時間より早めにMさんとの待ち合わせ場所に到着。
バス停に設置してあるベンチに座って待つことにしました。
忙しそうに道行く人が次々と足早に私の目の前を通り過ぎていきます。
私もかつては、日々の仕事に向う人の波のひとしずくだった・・・
あの頃にはもう戻れんなあ・・・
ぼんやり考えにふけっていると、Mさん登場。
ここから歩いて行ける場所に時宗の総本山があるとのことで、行ってみることにしました。
ここ藤沢市は東海道五十三次の宿場町の一つで、歩く道沿いにその名残をとどめるように黒い木材の古いお屋敷が何軒か建っています。
関東大震災や戦争の空襲を乗り越えた建物なのだろうか・・・
いつ頃からの時代かは分かりませんが、時代を超えて残ったものには迫力があります。
郷土資料館が道路沿いにあるのを見つけて、後で行くことにし、先に時宗の総本山
へ行くことに。

当山は通称「遊行寺」の名で知られており、正式には藤澤山無量光院清浄光寺と号します。
開山は俣野(現在の藤沢市、横浜市周辺)の地頭であった俣野氏の出身である遊行4代呑海上人です。
その兄である俣野五郎景平の寄進により正中2年(1325)に創建されました。
創建以来、数度にわたる戦火、火災により堂宇は度々焼失し、その都度復興してきました。
寛永8年(1631)に江戸幕府寺社奉行から時宗総本山として認められました。
現在の遊行寺は、東海道随一と謳われる木造本堂をはじめとした伽藍(平成27年(2015)に10棟が国の登録有形文化財に登録)や樹齢700年と推定される大銀杏などを有する修行道場として、また市民の憩いの場として今日に至っています。
門から入ってすぐのところにそびえている、大きなイチョウの木にびっくりしました。

大イチョウ
きちんと整えられた広々とした境内は静かで、参拝する人はほとんどおらずMさんと私の2人だけ。
木の葉をカサコソ踏みしめながら歩きながら、本堂に到着。
中に上がれる様子なので、入ってみることにしました。
ご本尊の阿弥陀様に手を合わせ
し~~~~~ん・・・・・・
とした堂内でしばし空間と静けさを味わいました。
思えば・・・
遠くへ来たものだ・・・
「外を歩いてみましょうか。」
Mさんに促されさらに境内をうろうろ・・・
史跡もあったのですが、勉強不足で見逃してしまい、歩き回るだけで終わってしまった次第。

静かな境内
そこから元に戻って「ふじさわ宿 交流館」という郷土資料館を見学。
東海道五十三次の宿場町の一つ、ここ藤沢の江戸時代の資料や映像を見て回りました。
そろそろ昼に近づく時間・・・
そこからバスでJR駅まで移動。
いよいよ鎌倉へ行くことに。
駅から歩いてあちこち眺めると、雅な古都の雰囲気が漂って瀟洒な感じ。
鎌倉市内ではおしゃれなレストランで食事をして、しばしリラックス。
「遠くから来られているから・・・」
とMさんにご馳走していただきました。
そこから古民家を改装した資料館のような所を見学している時、私に異変が起こりました。
2階の展示スペースを見ている時、左上腕を何かにつかまれたような痛みが・・・
習得したヒーリングの浄化メソッドを施すと軽くなった感じがしたのでそのままほっときましたが、ホテルに帰ってからお風呂に入って左上腕を洗っていると
痛っ・・・!
するどい痛みが残っていたので
ゾ~~~!
としました。
指の跡が残っていたら怖すぎるので、鏡で確認はしませんでしたが・・・
(閑話休題)
そして、いよいよ
始まりは、鎌倉幕府を築いた源頼朝公の祖先源頼義が、京都の石清水八幡宮を勧請(神様の御分霊を他の地に還し祀ること)したことです。頼義は石清水八幡宮を篤く信仰しており、源氏の氏神として八幡神を鎌倉の由比ヶ浜辺に祀りました。
その後、源頼朝公が現在の地にお還しし、鶴岡八幡宮の基礎を造りました。
(鶴岡八幡宮HPより)
参道がとにかく広く長くまっすぐで、周りはお店がたくさんあって人もごった返していて、賑やかな場所にきょろきょろとお登りさん状態で歩きました。
「この参道は北条政子の安産を祈願して作られたんですよ。」
Mさんが説明してくれました。
ひえ~~~
すっご~~!
ますます目を丸くしながら歩きました。
上を見上げると、夕暮れ近くの空に雲が重くたちこめ今にも雨が降りそうな気配になってきました。
私の参拝ってやっぱり喜ばれてないのかなあ・・・
トホホ・・・
「無礼は好まぬ」
突然
頭の中に言葉がズシンと入ってきました。
「どうされました?」
あの・・・今「無礼は好まぬ」って若干お怒りの声が頭の中に入ってきて・・・
「・・・さっき、神社の看板を足で蹴ってる人がいて・・・注意しようかと思ったけど,心の中で諫めることしか出来なくて・・・」
Mさんが悔しそうに話してくれました。
それは気がつきませんでした!
そんな○ホがいるなんて!
と言いつつも
そのことかなあ・・・
私のことかもしれない・・・
「平家まみれのお前が来るか!」
てお怒りかもなあ・・・
しょんぼりしながら有名な階段を歩きました。
この十三段目で実朝が公暁に暗殺されたということですが、皆さん普通に歩いていて特に何も感じませんでした。
階段を登り切ったところで突然、遠い西の雲間から夕陽が射してきて、私たちの立っている一帯を明るく照らしました。
あれれ・・・
背中越しにまぶしい夕陽に目を細めました。
「すご~い!急に照ってきましたね!」
はしゃぐMさん。
そして、大きな拝殿前についたとたん
「高天原に~~」
と祝詞が始まってびっくり!
参拝のタイミングでご祈祷が始まるのは歓迎のしるしと聞いたことがあります。
まさか!
私は歓迎いただいているのだろうか・・・
「あるはずがない」
と思っていた現象があるなんて。
畏れ多くて、慌てて参拝の感謝を心の中で唱えるばかりでした。
それにしても
こんなにも大きく豪壮な建物はなかなか目にすることがなかったので、鎌倉幕府のご威光はすごいなあ~とひたすら感嘆するばかり。
また長い参道を歩きながらMさんと語らいました。
平清盛さんはこちらの地方では極悪人なんですよね?
「・・・そうです。」
親類縁者を次々と要職につけたり、都を強引に遷させたり、後白河法皇を幽閉したり・・・
エトセトラエトセトラ・・・ですけど、確かにワンマンぶりはあったかもしれないけれど・・・
突然
みぞおちからふわっと思いがあふれてくるのを感じました。
この国を
強く、豊かな国にしたかった
その思いが本当に・・・強すぎたのかもしれませんね。
「・・・歴史は勝者が書き換えるって言いますよね。」
Mさんが静かに言葉を結びましたが
その声には諸行無常の響きあり・・・
「ところで、気がつかれてました?」
はい?
「私たちの周り、人がいなくなってるんですよ!。」
見回すと、前後は50mほど、左右も道幅いっぱい人がいない状態になっていました。
Mさんによると大勢の人で常ににぎわう参道なので、珍しい情景とのこと。
う~~~ん・・・・・・
どういうことなんだ・・・・・・?

どういうことなんでしょうね・・・?
(写真はお借りしました)
そこからしばらく歩いて路地裏のような道を歩いて
ぜんざいの名店に入り一休みしました。
昔から有名なお店とのことで、店内は満席で外では何人も待っている状況でしたが運良くすぐに座れました。
私の住んでいる広島では
わりにまるい味の甘さ控えめなぜんざいを出すお店が多いのですが、こちらのお店は塩味くっきりと、ぱっきりとした甘いお味でそれはそれでとても美味しかったです。
西と東でこんなにも違いがあるのだなあと興味深く感じました。
地元の人ならではの場所に行けたので、Mさんに有り難く感謝。
そして
家を改修した美術館を見て回ったり、賑やかなお店が続く通りを歩いたり。
気がつくともう真っ暗。
本当にたくさん歩き回りました。
Mさんお疲れ様でした!
本当にありがとうございました!
お礼をのべ、次に会う機会を楽しみに!とお名残を惜しみながら藤沢駅でお別れしました。