9月も末のある日。
大峰山のふもとの洞川温泉(奈良県天川村)に宿をとり夫婦で1泊二日の旅に出ました。
実は
私は3才まで奈良県に住んでいました。
広島に転居する直前、もう来ることもないだろうからと母は私と兄2人の幼児3人の手を引いて、住んでいた北葛城郡周辺の寺社仏閣に行ったそうです。
今回、当時住んでいた北葛城郡周辺とほかの地域の寺社仏閣にも参拝しました。
まず最初に
を参拝しました。
こちらの神社は母から「広島に引っ越す前に連れて行ったよ。」と以前から聞いていた場所です。
3才頃に参拝したので私の記憶にはもちろん残っておりません。
石上神宮について↓
石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。
当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。
禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。
(石上神宮 HPから抜粋)
勝手な先入観で平地に鎮座している神社かなと思っておりましたが、結構な登り道を歩いた高い場所(布留山)にありました。
出雲の加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡も山の斜面に銅鐸や銅剣が埋められていました。
古代では、大切なものは平地では無く高い場所に埋めるものなのだなあと思いました。
ましてやご祭神の剣が埋められていたのだから、平地であるはずが無い。
1人ぶつぶつつぶやきつつ、パシャパシャお気楽に写真を撮りまくる夫の背中を見ながら歩を進めました。
参道周囲は大きな木々に囲まれて葉ずれの音も爽やかに、絶えず風が吹いて誠に心地よかったです。
拝殿のある境内に入ろうと楼門をくぐろうとすると
一瞬からだがはじかれるぐらい、強いご神気を感じました。
私中に入っても良いのかなあ・・・
楼門から中を見ながらもじもじする私を尻目に、夫はすたこらさっさと境内に入って遠慮会釈無くパシャパシャとデジカメの撮影を始めました。
お父ちゃん!
お姿が見えんからと言うて神さまおられんわけじゃないんよ!
撮らせてくださいとお話してから撮りんさいや!
と(広島弁丸出しで)言いつつ、いつの間にか私も境内に入っておりましたが。
それにしても
なんとも清々しくもシャープでキリリとした境内・・・
拝殿も素敵に優雅な形・・・
拝殿と本殿の間が禁足地で、ここにご祭神の剣が埋まっていたとか。
そこは垣根できっちり囲ってあり外からはよく見えませんでした。
以前安芸国一宮 速谷神社(広島県廿日市市)を参拝したことがあるのですが、その時と同じような柑橘系と樹皮の精油をミックスしたようなかぐわしい香りがここでも香りました。
神社特有の香りなのでしょうか・・・
天気も良いしもっとゆっくり散策したいなあと思いました。
が
夫の立てたスケジュールは立て込んでいて、手を合わせた後すぐに次の場所へ移動することに。
境内を出るとすぐの場所にぐるりと幣の縄がかけられた場所があって、何だか神聖な感じがしました。
(後でお掃除の方に聞くと車の祓処とのことでした)
ここってきっと大事な場所なんじゃろうねえ!
と夫に話しかけた途端
ビュウ~~~~!
一陣の風が渦を巻くように上空に巻き上がり周囲の木々の葉が一斉にザワザワと大きく揺れました。
まるで
その通り!
とお返事をいただいたかのようで楽しかったです。
歩いていると
若かった頃の母が3人の幼児を連れて、境内をあちこち散策する様子が目に浮かんできました。
なんだか・・・もっとゆっくりしたいんですけど・・・
再度夫に言うと
「駄目じゃ。
次がつまっとるんじゃけえ、急がんと!」
仕方なく、先を急ぐ夫の背中を追いかけて車に乗り込みました。
我が家の添乗員さんは容赦ないです。
さて
次に向ったのは
ご祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
ご由緒↓
当社の創祀そうしに関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとあります。
石上神宮を目指して車を走らせていた途中、大きな鳥居が目に入り
後で参拝したい!
と急遽こちらもお参りすることになったのでした。
こちらの参道も風が絶えずそよぎ心地よかったです。
神社の参道のレストランで手早く食事を済ませ、さっさと歩いて急ぎぎみに参拝。
授与所で兄2人へのお土産にこちらのお守りを購入しました。
後日、春から体調を崩し、最近ようやく元気になってきた長兄にお守りを渡したとき
「若い頃近畿で仕事しよって、大神神社だけは何度か参りよった。
たしか・・・蛇の神さまじゃった。」
とのことで驚きました。
奈良県には他にもたくさんの有名な神社があるというのに、長兄は大神神社だけ参拝していたというのです。
兄達へのお土産はここでしか買わなかったので、これも何かのご縁だろうか・・・と思いました。
さて陽もそろそろ傾いてきました。
本日のお宿
洞川温泉に向うことにしました。

ゆるやかな登り道の参道

両側の柱は鳥居。
砂に撒いた水跡は神さまのお通りになる正中線を現わしているのだそうです。
お掃除をされている方に教えていただきました。

ご由緒書き

楼門
入った先に拝殿があります。
畏れ多くて拝殿は撮れませんでした・・・

向こうに三輪山が見えます


ここから参道へ

手水舎
蛇が・・・!

大神神社の参道
やはり拝殿は撮れませんでした・・・